音楽を探して(番外編)
今回は、音楽を探しにネットの海を彷徨っていた最中に、寄り道した時の音楽についての話です。
実はその昔、スペイン語とロシア語に興味を抱いていた時代がありました。確かきっかけは、NHKの語学講座で、英語講座の番組が始まる前に放送されていたスペイン語/ロシア語を見ていたら、ハマった------というやつです(爆)。
おかげでスペイン語もロシア語もほんの少しだけ覚えました。ロシア語はもう大分忘れたけれど、文字がまだ辛うじて読めるし、スペイン語のほうはその後の音楽の嗜好を広げてくれましたね。スペイン語圏(特にメキシコ)で生まれた世界的ヒット曲って意外と多いんです。
というわけで、今回は語学講座をきっかけに知った曲のオリジナルを中心に探してみました。
まずは旧ソ連/ロシアのポップスから、
1.「雪の上のりんご(Яблоки на снегу)」
唄:ミハイル・ムロモフ(Михаил Муромов)
1980年代半ば、冷戦末期に発表された曲ですが、このころになると旧ソ連の文化も随分とポップなものが出てきていて、堅苦しさはなくなってきてますね。もっとも西側に比べるといまいちダサい……(苦笑)。
なんか、こう、フランス的“ダサかっこよさ”みたいなのがなくて、垢抜けてない感じがプンプン。
ロシアという国はフランスからの文化的影響が強い国ではあるんですが、にも関わらず洗練さが及ばないのは当時の社会主義経済の影響なんでしょうかね?(笑)
ちなみにこのムロモフさん、少し恰幅もよくなり、額も広くなりましたが、シンガー・ソングライターとして現在も現役でご活躍してます。
2.「百万本のバラ(Миллион роз)」
唄:アラ・プガチョワ(Алла Борисовна)
泣く子も黙る(?)旧ソ連/ロシア最大のヒット曲の一つがこれ。日本でも加藤登紀子他様々な歌手がカバーしヒットしましたね。
作曲したのはラトビアの作曲家で、いまや英雄となったパウルス(Raimonds Pauls)。この人はジャズピアニストだったそうで、なるほど、プガチョワの歌うバージョンは、日本のカバー曲に比べて随分リズミカルなアレンジになってますね。
この曲を歌っているアラ・プガチョワも旧ソ連/ロシアの代表的・国民的歌手の一人。ロシアの歌手というと堅苦しい印象がありますが、この人は西側にも人気があった人で、同時代の旧ソ連/ロシアの歌手に比べても華やかさがありますね。
3.「僕は魔法使い(Я работаю Волшебником)」
唄:マルク・ベルネス(Марк Бернес)
この曲、私は語学講座で知ったんですが、1966年に発表された曲だそうです。歌っているベルネスは俳優らしいですね。
4.モスクワは涙を信じない/アレクサンドラ(Москва Слезам Не Верит/Александра)
唄:タチアナ&セルゲイ・ニキーチン(Татьяна и Сергей Никитин)
1980年公開の旧ソ連映画「モスクワは涙を信じない(Москва Слезам Не Верит)」の主題歌。この曲は二つバージョンがあって、映画冒頭で使われているもの(セルゲイのソロ)と、エンドタイトルで使用されているもの(タチアナとのデュエット)の二種類がある。歌っているセルゲイ・ニキーチンは物理学博士の肩書きを持つ異色のシンガー・ソングライターで、この曲が収録された当時はまだ研究所に在籍していたのだとか。(奥さんのタチアナも同僚だった)。
ちなみに「モスクワは涙を信じない」という映画は、発表当初ソ連当局の激怒を買った作品。
しかし、どこにでもいる、三人の女性たちの生き様を通して描かれた、市井の人々-----特に女性たちへの惜しみない賛歌が、ソ連大衆のみならず海外でも賞賛された、そんな作品でした。DVDも発売されていますので、機会があればぜひ観てください。
5.「僕たちは恋人同士(Somos Novios)」
唄:アルマンド・マンサネーロ(Armando Manzanero)
「アドロ(Adoro)」などで知られるメキシコの作曲家で、歌手でもあるアルマンド・マンサネーロの代表作。1970年には「It's Impossible」という題名で英語詞が付けられ、ペリー・コモなどが歌って大ヒットしました。
個人的にも思い入れがある曲で、カラオケでこれを見つけては、スペイン語で歌っていましたね(笑)。語学講座でご本人がピアノ弾き語りされていたバージョンが今でも一番好きです。
6.「時計(El Reloj)」
唄/演奏:ロス・トレス・カバジェロス(Los Tres Cavalleros)
メキシコの作曲家:ロベルト・カントラール(Roberto Cantoral)が生み出した本作は、自身が率いるロス・トレス・カバジェロスの代表作でもあり、また世界中で大ヒットした有名な曲でもある。甘く切ないメロディーは多くの人の心を虜にし、日本でも多くの歌手がカバーしていましたね。
7.「ペルフェディア(Perfedia)」
実はメキシコという国は知られざる音楽大国であり、数多くのポピュラーミュージックが生まれた地でもあります。その中から、マリンバ奏者でもあったアルベルト・ドミンゲス(Alberto Dominguez)が作曲した「ペルフェディア」は、世界中の歌手および演奏者によってカバーされた名曲。映画「カサブランカ(Casablanca)」でもパリでの回想シーンにて、リック(演:ハンフリー・ボガート)とイルザ(演:イングリット・バーグマン)が踊っているときに演奏されていたのが、それ。
今回は、グレン・ミラー・オーケストラによる演奏と、前述したロス・トレス・カバジェロスが歌った二つの版を掲載します。
グレン・ミラー
ロス・トレス・カバジェロス
8.ソウル ドラキュラ(Soul Dracula)
演奏:HOT BLOOD
もう語学講座関係ありません(爆)。幼少期に従兄弟が聴かせてくれたディスコ・ミュージックで、怖がりだった妹は震え上がった思い出が残ってます。実ははこれ、フランスでつくられた曲だったんですね。ようく聴いてみると、確かに「ドラクラ~」とフランス訛りになってました(笑)。
1970年代後半は世界的にディスコ音楽がブームになっていて、どこもかしこもディスコ、ディスコでした。そういえば前述した「雪の上のりんご」のアレンジにもその名残がありますね。
9.「孤独のメッセージ(Message in a Bottle)」
唄/演奏:ポリス(The Police)
これは偉大なるロック・トライアングル:ポリスをスターダムに載せた有名な曲ですが、いや何故いまさら紹介したかといわれると、当時まだ新人に毛が生えた(?)三人が若々しかったから(笑)。いや、若干一名だけ別ですが(爆)。
曲についてはいまさら語る必要がないと思いますが、注目して欲しいのは、若かりし頃のスティング(Sting)やコープランド(Stewart Copeland)。やんちゃ坊主といった風情の二人が、狭い楽屋で楽器片手に歌い踊る風景は、今となっては貴重かも。また70年代末のロンドンの風景も冒頭に挿入されていて、当時の風俗を知る上でも興味深い映像になっています。
しかし、この頃のポリスのPV/フィルムを見ると、必ずといっていいほどスティングが飛び跳ねてるんですよね。当時のロックアーティストはみんなこんな感じだったのかなぁ……(笑)。
以上、音楽を探す旅の番外編でした! それでは!
実はその昔、スペイン語とロシア語に興味を抱いていた時代がありました。確かきっかけは、NHKの語学講座で、英語講座の番組が始まる前に放送されていたスペイン語/ロシア語を見ていたら、ハマった------というやつです(爆)。
おかげでスペイン語もロシア語もほんの少しだけ覚えました。ロシア語はもう大分忘れたけれど、文字がまだ辛うじて読めるし、スペイン語のほうはその後の音楽の嗜好を広げてくれましたね。スペイン語圏(特にメキシコ)で生まれた世界的ヒット曲って意外と多いんです。
というわけで、今回は語学講座をきっかけに知った曲のオリジナルを中心に探してみました。
まずは旧ソ連/ロシアのポップスから、
1.「雪の上のりんご(Яблоки на снегу)」
唄:ミハイル・ムロモフ(Михаил Муромов)
1980年代半ば、冷戦末期に発表された曲ですが、このころになると旧ソ連の文化も随分とポップなものが出てきていて、堅苦しさはなくなってきてますね。もっとも西側に比べるといまいちダサい……(苦笑)。
なんか、こう、フランス的“ダサかっこよさ”みたいなのがなくて、垢抜けてない感じがプンプン。
ロシアという国はフランスからの文化的影響が強い国ではあるんですが、にも関わらず洗練さが及ばないのは当時の社会主義経済の影響なんでしょうかね?(笑)
ちなみにこのムロモフさん、少し恰幅もよくなり、額も広くなりましたが、シンガー・ソングライターとして現在も現役でご活躍してます。
2.「百万本のバラ(Миллион роз)」
唄:アラ・プガチョワ(Алла Борисовна)
泣く子も黙る(?)旧ソ連/ロシア最大のヒット曲の一つがこれ。日本でも加藤登紀子他様々な歌手がカバーしヒットしましたね。
作曲したのはラトビアの作曲家で、いまや英雄となったパウルス(Raimonds Pauls)。この人はジャズピアニストだったそうで、なるほど、プガチョワの歌うバージョンは、日本のカバー曲に比べて随分リズミカルなアレンジになってますね。
この曲を歌っているアラ・プガチョワも旧ソ連/ロシアの代表的・国民的歌手の一人。ロシアの歌手というと堅苦しい印象がありますが、この人は西側にも人気があった人で、同時代の旧ソ連/ロシアの歌手に比べても華やかさがありますね。
3.「僕は魔法使い(Я работаю Волшебником)」
唄:マルク・ベルネス(Марк Бернес)
この曲、私は語学講座で知ったんですが、1966年に発表された曲だそうです。歌っているベルネスは俳優らしいですね。
4.モスクワは涙を信じない/アレクサンドラ(Москва Слезам Не Верит/Александра)
唄:タチアナ&セルゲイ・ニキーチン(Татьяна и Сергей Никитин)
1980年公開の旧ソ連映画「モスクワは涙を信じない(Москва Слезам Не Верит)」の主題歌。この曲は二つバージョンがあって、映画冒頭で使われているもの(セルゲイのソロ)と、エンドタイトルで使用されているもの(タチアナとのデュエット)の二種類がある。歌っているセルゲイ・ニキーチンは物理学博士の肩書きを持つ異色のシンガー・ソングライターで、この曲が収録された当時はまだ研究所に在籍していたのだとか。(奥さんのタチアナも同僚だった)。
ちなみに「モスクワは涙を信じない」という映画は、発表当初ソ連当局の激怒を買った作品。
しかし、どこにでもいる、三人の女性たちの生き様を通して描かれた、市井の人々-----特に女性たちへの惜しみない賛歌が、ソ連大衆のみならず海外でも賞賛された、そんな作品でした。DVDも発売されていますので、機会があればぜひ観てください。
5.「僕たちは恋人同士(Somos Novios)」
唄:アルマンド・マンサネーロ(Armando Manzanero)
「アドロ(Adoro)」などで知られるメキシコの作曲家で、歌手でもあるアルマンド・マンサネーロの代表作。1970年には「It's Impossible」という題名で英語詞が付けられ、ペリー・コモなどが歌って大ヒットしました。
個人的にも思い入れがある曲で、カラオケでこれを見つけては、スペイン語で歌っていましたね(笑)。語学講座でご本人がピアノ弾き語りされていたバージョンが今でも一番好きです。
6.「時計(El Reloj)」
唄/演奏:ロス・トレス・カバジェロス(Los Tres Cavalleros)
メキシコの作曲家:ロベルト・カントラール(Roberto Cantoral)が生み出した本作は、自身が率いるロス・トレス・カバジェロスの代表作でもあり、また世界中で大ヒットした有名な曲でもある。甘く切ないメロディーは多くの人の心を虜にし、日本でも多くの歌手がカバーしていましたね。
7.「ペルフェディア(Perfedia)」
実はメキシコという国は知られざる音楽大国であり、数多くのポピュラーミュージックが生まれた地でもあります。その中から、マリンバ奏者でもあったアルベルト・ドミンゲス(Alberto Dominguez)が作曲した「ペルフェディア」は、世界中の歌手および演奏者によってカバーされた名曲。映画「カサブランカ(Casablanca)」でもパリでの回想シーンにて、リック(演:ハンフリー・ボガート)とイルザ(演:イングリット・バーグマン)が踊っているときに演奏されていたのが、それ。
今回は、グレン・ミラー・オーケストラによる演奏と、前述したロス・トレス・カバジェロスが歌った二つの版を掲載します。
グレン・ミラー
ロス・トレス・カバジェロス
8.ソウル ドラキュラ(Soul Dracula)
演奏:HOT BLOOD
もう語学講座関係ありません(爆)。幼少期に従兄弟が聴かせてくれたディスコ・ミュージックで、怖がりだった妹は震え上がった思い出が残ってます。実ははこれ、フランスでつくられた曲だったんですね。ようく聴いてみると、確かに「ドラクラ~」とフランス訛りになってました(笑)。
1970年代後半は世界的にディスコ音楽がブームになっていて、どこもかしこもディスコ、ディスコでした。そういえば前述した「雪の上のりんご」のアレンジにもその名残がありますね。
9.「孤独のメッセージ(Message in a Bottle)」
唄/演奏:ポリス(The Police)
これは偉大なるロック・トライアングル:ポリスをスターダムに載せた有名な曲ですが、いや何故いまさら紹介したかといわれると、当時まだ新人に毛が生えた(?)三人が若々しかったから(笑)。いや、若干一名だけ別ですが(爆)。
曲についてはいまさら語る必要がないと思いますが、注目して欲しいのは、若かりし頃のスティング(Sting)やコープランド(Stewart Copeland)。やんちゃ坊主といった風情の二人が、狭い楽屋で楽器片手に歌い踊る風景は、今となっては貴重かも。また70年代末のロンドンの風景も冒頭に挿入されていて、当時の風俗を知る上でも興味深い映像になっています。
しかし、この頃のポリスのPV/フィルムを見ると、必ずといっていいほどスティングが飛び跳ねてるんですよね。当時のロックアーティストはみんなこんな感じだったのかなぁ……(笑)。
以上、音楽を探す旅の番外編でした! それでは!
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