YMO再聴
イエローマジックオーケストラ(以下、YMO)は、1970年代末に結成されたテクノ・ポップと呼ばれる音楽の創始者的存在であり、そして日本のポップミュージックを世界に知らしめた先駆けともいえるグループである-------ことは、皆さんもご存知でしょう。
本日は、そんなYMOの代表曲を再聴しての与太話です。
-------ですが、そんなに小難しい話はしません。ネットの海にはYMOに関して詳しく書かれた記事がたくさんありますからね。彼らの略歴とか、音楽性とか、ディスコグラフィーとか、評価/評論等は他サイトにお譲りすることにします。偉そうなこと書けるほど彼らの音楽を聴き込んでいるわけでもないしね。
ただ彼らの登場は、当時小学生だった自分にも衝撃的であり、そのサウンドに来るべき未来を感じたものでした。ちょうどコンピューター・ゲームが一般社会に登場し始めた頃だったからね。
私自身は、以前書いた「音楽を探して」に記事書いたような、世界中の音楽を聴き始めて、その後アメリカン・ポップ・ロックに傾倒するようになったのだけれど、同級生連中はこぞってYMOだったなぁ……。あの当時一緒のクラスだったM君とか、元気かなぁ……(笑)。
でも、YMOは嫌いだったわけではないですよ。むしろ好きだった方かな。邦楽は全然聴かなかった私ですが、唯一認めていた日本のミュージシャンがYMOでしたからね。随分生意気なこと言ってた子供でしたね(苦笑)。
今回、YMOの代表曲を数曲、あらためて聴き直して、その懐かしさに浸っていたんですが、当時気がつかなかったことを再発見しましてね。
YMOの音楽は、あえて“無機的”なリズム、ベースライン、サウンド構成としているのですが、意外や意外、それでも醸し出されるグルーヴ感に思わず笑みがこぼれてしまったり。
実は、あの当時の技術的制約で、楽曲の7割方はプログラムではなく、三人が直接演奏したものであるらしい。実際、有志が現代のコンピューターを使って再現した“完全打ち込み”による演奏のそれと比べると、オリジナルには遥かに人間の色が感じられる。
それを裏付けるかのごとく、2001年のNHKの衛星放送での番組にて披露された、3パートだけでのシンプルな「RYDEEN」を聴くと、テクノ・ポップと言うよりは、むしろジャズ・フュージョンに近いんじゃないかとすら感じてしまうほど。やっぱりドラムとベースが上手で活き活きしているバンドはいいなぁ~、とあらためて思ったのでした。
しかし、YMOの魅力はそれだけではない------と、いいますかね、三人とも凄腕で才能豊かなミュージシャンでありながら、一方で無類のお笑い好きと言うところに、親しみを感じるよね。ヅラ被ったり、付け髭して老人に扮したり、全身タイツで身体張ってバラエティに出演したり(笑)。世界のサカモトが、だよ!(笑)。細野さんだって日本の音楽界に大きな足跡を残したミュージシャンだし、(YMOは細野晴臣発案のプロジェクトだ)、ユキヒロさん(高橋幸宏)だって、ドラマーとして、シンガーとして高い評価を受けている人だ。そんな三人がやりますかね、コントを(笑)。
ところで、知らなかったのだが、YMOの三人、活動期間中はメンバー間での衝突が少なくなかったのだとか。決して不仲と言うわけではなかったようだが、(でなければ、何度となく一緒に演奏したりすることもないだろう)、やはり天才が揃えば才能がぶつかり合うのは必然なのかもしれない。
別の例で申し訳ないが、ポリス(The Police)のスティングとコープランドも、決して仲が悪いというわけではない(と、コープランドは言ってました;笑)が、音楽の方向性やらサウンドの設計やらで、殴り合いをするくらいだったなんて話も聞きますからね。
しかしながらスティングの才能の開花も、彼を見出したコープランドがいたからこそだし、(そしてアンディ・サマーズもまた、スティングに様々な刺激を与えたことは言うまでもない)、同様に教授(坂本龍一)が“世界のサカモト”になる上で、細野さん、ユキヒロさんの存在は欠かせないものではなかったんじゃないかと思う。あ、元奥様の矢野顕子の存在も大きいのかな。(あのお方は本当の天才だと思います)。
YMOの実質的活動期間は短かったけれど、これはもうしょうがないんじゃないかと思います。そもそも細野さん自体長くやるつもりはなかったようだし、前述のごとく才能がぶつかり合うバンドは得てして短命に終わってしまう傾向があって、先に紹介したポリスも短かったよね。長くやろうと思うとどうしてもメンバーの誰かが“和”を取り持つために押し黙るようになってしまう。そうすると、リーダーの“イエスマン”になってしまいかねず、そうなると音楽的緊張感が薄らいでしまうんだね。バンドの運営も独善的になってしまう恐れもでてきますからね…。すべての長命バンドがそうだというつもりはありませんが。
シンセサイザーをはじめとした電子楽器が当たり前となり、“打ち込み”がポップ音楽を作るうえで欠かせない作業となった昨今、その先駆者であるYMOは、いまではアンビエント色の強いシンセミュージックをリリースするようになりました。当初は実験的だったサウンドでしたが、音楽家として円熟の境地にさしかかった三人が奏でるそれは、1970年末から80年代初頭に垣間見たものとは別の未来を感じさせてくれます。
三人の動向にまだまだ目が離せないですね。
本日は、そんなYMOの代表曲を再聴しての与太話です。
-------ですが、そんなに小難しい話はしません。ネットの海にはYMOに関して詳しく書かれた記事がたくさんありますからね。彼らの略歴とか、音楽性とか、ディスコグラフィーとか、評価/評論等は他サイトにお譲りすることにします。偉そうなこと書けるほど彼らの音楽を聴き込んでいるわけでもないしね。
ただ彼らの登場は、当時小学生だった自分にも衝撃的であり、そのサウンドに来るべき未来を感じたものでした。ちょうどコンピューター・ゲームが一般社会に登場し始めた頃だったからね。
私自身は、以前書いた「音楽を探して」に記事書いたような、世界中の音楽を聴き始めて、その後アメリカン・ポップ・ロックに傾倒するようになったのだけれど、同級生連中はこぞってYMOだったなぁ……。あの当時一緒のクラスだったM君とか、元気かなぁ……(笑)。
でも、YMOは嫌いだったわけではないですよ。むしろ好きだった方かな。邦楽は全然聴かなかった私ですが、唯一認めていた日本のミュージシャンがYMOでしたからね。随分生意気なこと言ってた子供でしたね(苦笑)。
今回、YMOの代表曲を数曲、あらためて聴き直して、その懐かしさに浸っていたんですが、当時気がつかなかったことを再発見しましてね。
YMOの音楽は、あえて“無機的”なリズム、ベースライン、サウンド構成としているのですが、意外や意外、それでも醸し出されるグルーヴ感に思わず笑みがこぼれてしまったり。
実は、あの当時の技術的制約で、楽曲の7割方はプログラムではなく、三人が直接演奏したものであるらしい。実際、有志が現代のコンピューターを使って再現した“完全打ち込み”による演奏のそれと比べると、オリジナルには遥かに人間の色が感じられる。
それを裏付けるかのごとく、2001年のNHKの衛星放送での番組にて披露された、3パートだけでのシンプルな「RYDEEN」を聴くと、テクノ・ポップと言うよりは、むしろジャズ・フュージョンに近いんじゃないかとすら感じてしまうほど。やっぱりドラムとベースが上手で活き活きしているバンドはいいなぁ~、とあらためて思ったのでした。
しかし、YMOの魅力はそれだけではない------と、いいますかね、三人とも凄腕で才能豊かなミュージシャンでありながら、一方で無類のお笑い好きと言うところに、親しみを感じるよね。ヅラ被ったり、付け髭して老人に扮したり、全身タイツで身体張ってバラエティに出演したり(笑)。世界のサカモトが、だよ!(笑)。細野さんだって日本の音楽界に大きな足跡を残したミュージシャンだし、(YMOは細野晴臣発案のプロジェクトだ)、ユキヒロさん(高橋幸宏)だって、ドラマーとして、シンガーとして高い評価を受けている人だ。そんな三人がやりますかね、コントを(笑)。
ところで、知らなかったのだが、YMOの三人、活動期間中はメンバー間での衝突が少なくなかったのだとか。決して不仲と言うわけではなかったようだが、(でなければ、何度となく一緒に演奏したりすることもないだろう)、やはり天才が揃えば才能がぶつかり合うのは必然なのかもしれない。
別の例で申し訳ないが、ポリス(The Police)のスティングとコープランドも、決して仲が悪いというわけではない(と、コープランドは言ってました;笑)が、音楽の方向性やらサウンドの設計やらで、殴り合いをするくらいだったなんて話も聞きますからね。
しかしながらスティングの才能の開花も、彼を見出したコープランドがいたからこそだし、(そしてアンディ・サマーズもまた、スティングに様々な刺激を与えたことは言うまでもない)、同様に教授(坂本龍一)が“世界のサカモト”になる上で、細野さん、ユキヒロさんの存在は欠かせないものではなかったんじゃないかと思う。あ、元奥様の矢野顕子の存在も大きいのかな。(あのお方は本当の天才だと思います)。
YMOの実質的活動期間は短かったけれど、これはもうしょうがないんじゃないかと思います。そもそも細野さん自体長くやるつもりはなかったようだし、前述のごとく才能がぶつかり合うバンドは得てして短命に終わってしまう傾向があって、先に紹介したポリスも短かったよね。長くやろうと思うとどうしてもメンバーの誰かが“和”を取り持つために押し黙るようになってしまう。そうすると、リーダーの“イエスマン”になってしまいかねず、そうなると音楽的緊張感が薄らいでしまうんだね。バンドの運営も独善的になってしまう恐れもでてきますからね…。すべての長命バンドがそうだというつもりはありませんが。
シンセサイザーをはじめとした電子楽器が当たり前となり、“打ち込み”がポップ音楽を作るうえで欠かせない作業となった昨今、その先駆者であるYMOは、いまではアンビエント色の強いシンセミュージックをリリースするようになりました。当初は実験的だったサウンドでしたが、音楽家として円熟の境地にさしかかった三人が奏でるそれは、1970年末から80年代初頭に垣間見たものとは別の未来を感じさせてくれます。
三人の動向にまだまだ目が離せないですね。
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