春のなのは祭り(5)~私となのは(前編)
春のなのは祭りも5回目。今回は私と「魔法少女リリカルなのは」との繋がりについての妄言です。

(キモい文章でも読みたいと思った猛者は「続きを読む」をクリックしてください)。
そもそも私はアニメとかを観る人ではない------はるか以前(成人前)に卒業した人間であるからして、仕事に関わることでもない限り、務めてアニメを見ることは稀なのである。ただし間違えて欲しくないのは、アニメの芸術性を否定しているわけではない。いい年をしてアニメを観ても別にいいのだと思う。問題は“アニメしか観ない”ことであり、他の芸術や文化に触れぬまま、狭い世界に閉じこもることが問題だと思うのだな。実際に創作に携わる身にとっては、様々な文化や世界に身を投じて、身体で様々な事を吸収していかないことには、引き出しそのものが限られてしまうからね。
ま、そんな余談は脇に置いておくとして、普段アニメを観ない私が、何故「魔法少女リリカルなのは」を知ったのかというと-----、もちろん、TV放映を観ていたわけではない。観てはいなかったが番宣で刷り込まれていたのだった(笑)。といっても、CS/ケーブルテレビだったんだけどね。たしかファミリー劇場で「なのは」が放送されるということで、結構盛んに番宣していたんだよね。当時ケーブルテレビの視聴契約をしていて、ファミリー劇場で昔懐かしの番組を童心に戻って視聴していたから、いやでも「なのは」のことは覚えさせられたというわけさ(笑)。もちろん、それほど興味はなかった。興味はなかったんだけど、不思議なことに何か惹かれるものがあった。
何故だろうね?
魔法少女ものは古くから女児向け番組として特撮ドラマ/アニメとして数多く作品化され放送されていたのだが、平成に入ってから突然毛色が変わっていく。昔のそれは、魔法を使ったり大人に変身して能力を向上させてたりして、周りの人々を助けたり、ご近所の困りごとを解決したりするハートフルな話がメインだったのだが、東映不思議コメディーシリーズの後期作品や「美少女戦士セーラームーン」あたりから、魔法を使って悪と戦うバトルアクションヒロイン作の様相を強めていく。と同時にこれまでメインターゲットだった女の子から思春期を過ぎた男性に支持を得ていくようになる。前述の「セーラームーン」なんて、好きで見ていた奴が私の周りにもいたっけなぁ……。(某特撮ヒーロー番組に主演した少年も好きだったらしく、知人の脚本家が閉口していたっけ;苦笑)。
「魔法少女リリカルなのは」が、そんな熱血戦闘美少女系ヒロインアニメの系統にある作品であることはもちろん知っていた。番宣でバトルシーンとか出てくるからね(笑)。

さて、そういうわけで、「なのは」が数ある熱血戦闘美少女系ヒロインアニメであると認識していたわけであるが、ではその中で、どうして「なのは」は私の記憶から忘れ去られることなく、やがてはフィギュアを集めるまでになってしまったのだろうか?
本家サイトのほうに書いてあるのだが、私が買ったfigma第一号は「涼宮ハルヒ 夏服ver.」である。1/12アクションフィギュア自体は、「装甲騎兵ボトムズ」のスコープドッグとその騎乗用に発売された「キリコ・キュービィー」が最初だったのだが、(もっと言えば、アクションフィギュアに手を出したのはそれよりもう少し古く、2004年頃からだった)、本格的にコレクションを始めたのは「ハルヒ」のfigmaが初である。ところがその「ハルヒ」については、当時断片的な知識しか持ち合わせていなかったのである。
じゃあ、何故買った(笑)。
実は、“アニメは観てない”と先ほど書いたけれど、一作だけ例外があったのだ。それが「ケロロ軍曹」(笑)。これを見始めたのがたまたま偶然で、休日にたまたまテレビをつけたらそれが放送されていた。「なんじゃこりゃ!」と思って、休み明けにアニメに詳しい同僚に聞いたら、それが「ケロロ軍曹」で、主役のカエルは宇宙人で、地球侵略をするためにやってきたのだと。ギャグアニメであることは観れば判るのだが、過去のいろいろな作品のパロディが散りばめられているということは教えてもらった。こういう作品は(パロディがなくても)老若男女問わず楽しめるので、普段アニメを観ない私も、しばらくすると、休日のつかの間のひと時を楽しむ作品として視聴するようになったのだった。
ところが、そんな日々に小さな異変が起こった。「ケロロ軍曹」放送時のCMにやたら「涼宮ハルヒ」の名が出てくるようになったのだ。その当時私は「ハルヒ」のことは何一つ知らず、「なんじゃこりゃ、“なのは”のまがい物か何かか!?」と思ったものだ。
これでようやく繋がったね(苦笑)。
その後、「ハルヒ」なるものは何者なのか? 「なのは」のまがい物なのか? まるで異なる何かなのか? を検索かけていろいろと調べ、さらに別件(“萌え”の研究)で購入したアニメ雑誌の付録に「ハルヒ」のフィギュアが付いてきたりで、2010年の夏にとうとうfigmaを購入するに至ったわけだ。
つまりだ、私にとって、「なのは」なくして「ハルヒ」なく、また「ケロロ」なくして「ハルヒ」なく、「ハルヒ」なくしてfigma(&リボルテック)なしというわけなのだ。(注:リボルテックの存在はfigmaより前に知っていたけれど、私がリボルテックを買うようになったのは、figmaを買うようになってからだ)。

早い話、「なのは」を知っていたから「ハルヒ」を知ってfigmaを買い、現在に至るというわけで、私にとって「なのは」は地味に大きな存在というわけなんだね。
まあ、前述のアニメ雑誌を買ったおかげで、いままで知らなかった「なのは」を少しだけ詳しく知るようになったりもしたのだけれど(苦笑)。
長くなったので続きはまた明日(笑)。

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そもそも私はアニメとかを観る人ではない------はるか以前(成人前)に卒業した人間であるからして、仕事に関わることでもない限り、務めてアニメを見ることは稀なのである。ただし間違えて欲しくないのは、アニメの芸術性を否定しているわけではない。いい年をしてアニメを観ても別にいいのだと思う。問題は“アニメしか観ない”ことであり、他の芸術や文化に触れぬまま、狭い世界に閉じこもることが問題だと思うのだな。実際に創作に携わる身にとっては、様々な文化や世界に身を投じて、身体で様々な事を吸収していかないことには、引き出しそのものが限られてしまうからね。
ま、そんな余談は脇に置いておくとして、普段アニメを観ない私が、何故「魔法少女リリカルなのは」を知ったのかというと-----、もちろん、TV放映を観ていたわけではない。観てはいなかったが番宣で刷り込まれていたのだった(笑)。といっても、CS/ケーブルテレビだったんだけどね。たしかファミリー劇場で「なのは」が放送されるということで、結構盛んに番宣していたんだよね。当時ケーブルテレビの視聴契約をしていて、ファミリー劇場で昔懐かしの番組を童心に戻って視聴していたから、いやでも「なのは」のことは覚えさせられたというわけさ(笑)。もちろん、それほど興味はなかった。興味はなかったんだけど、不思議なことに何か惹かれるものがあった。
何故だろうね?
魔法少女ものは古くから女児向け番組として特撮ドラマ/アニメとして数多く作品化され放送されていたのだが、平成に入ってから突然毛色が変わっていく。昔のそれは、魔法を使ったり大人に変身して能力を向上させてたりして、周りの人々を助けたり、ご近所の困りごとを解決したりするハートフルな話がメインだったのだが、東映不思議コメディーシリーズの後期作品や「美少女戦士セーラームーン」あたりから、魔法を使って悪と戦うバトルアクションヒロイン作の様相を強めていく。と同時にこれまでメインターゲットだった女の子から思春期を過ぎた男性に支持を得ていくようになる。前述の「セーラームーン」なんて、好きで見ていた奴が私の周りにもいたっけなぁ……。(某特撮ヒーロー番組に主演した少年も好きだったらしく、知人の脚本家が閉口していたっけ;苦笑)。
「魔法少女リリカルなのは」が、そんな熱血戦闘美少女系ヒロインアニメの系統にある作品であることはもちろん知っていた。番宣でバトルシーンとか出てくるからね(笑)。

さて、そういうわけで、「なのは」が数ある熱血戦闘美少女系ヒロインアニメであると認識していたわけであるが、ではその中で、どうして「なのは」は私の記憶から忘れ去られることなく、やがてはフィギュアを集めるまでになってしまったのだろうか?
本家サイトのほうに書いてあるのだが、私が買ったfigma第一号は「涼宮ハルヒ 夏服ver.」である。1/12アクションフィギュア自体は、「装甲騎兵ボトムズ」のスコープドッグとその騎乗用に発売された「キリコ・キュービィー」が最初だったのだが、(もっと言えば、アクションフィギュアに手を出したのはそれよりもう少し古く、2004年頃からだった)、本格的にコレクションを始めたのは「ハルヒ」のfigmaが初である。ところがその「ハルヒ」については、当時断片的な知識しか持ち合わせていなかったのである。
じゃあ、何故買った(笑)。
実は、“アニメは観てない”と先ほど書いたけれど、一作だけ例外があったのだ。それが「ケロロ軍曹」(笑)。これを見始めたのがたまたま偶然で、休日にたまたまテレビをつけたらそれが放送されていた。「なんじゃこりゃ!」と思って、休み明けにアニメに詳しい同僚に聞いたら、それが「ケロロ軍曹」で、主役のカエルは宇宙人で、地球侵略をするためにやってきたのだと。ギャグアニメであることは観れば判るのだが、過去のいろいろな作品のパロディが散りばめられているということは教えてもらった。こういう作品は(パロディがなくても)老若男女問わず楽しめるので、普段アニメを観ない私も、しばらくすると、休日のつかの間のひと時を楽しむ作品として視聴するようになったのだった。
ところが、そんな日々に小さな異変が起こった。「ケロロ軍曹」放送時のCMにやたら「涼宮ハルヒ」の名が出てくるようになったのだ。その当時私は「ハルヒ」のことは何一つ知らず、「なんじゃこりゃ、“なのは”のまがい物か何かか!?」と思ったものだ。
これでようやく繋がったね(苦笑)。
その後、「ハルヒ」なるものは何者なのか? 「なのは」のまがい物なのか? まるで異なる何かなのか? を検索かけていろいろと調べ、さらに別件(“萌え”の研究)で購入したアニメ雑誌の付録に「ハルヒ」のフィギュアが付いてきたりで、2010年の夏にとうとうfigmaを購入するに至ったわけだ。
つまりだ、私にとって、「なのは」なくして「ハルヒ」なく、また「ケロロ」なくして「ハルヒ」なく、「ハルヒ」なくしてfigma(&リボルテック)なしというわけなのだ。(注:リボルテックの存在はfigmaより前に知っていたけれど、私がリボルテックを買うようになったのは、figmaを買うようになってからだ)。

早い話、「なのは」を知っていたから「ハルヒ」を知ってfigmaを買い、現在に至るというわけで、私にとって「なのは」は地味に大きな存在というわけなんだね。
まあ、前述のアニメ雑誌を買ったおかげで、いままで知らなかった「なのは」を少しだけ詳しく知るようになったりもしたのだけれど(苦笑)。
長くなったので続きはまた明日(笑)。
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