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十周年

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ランボルギーニ讃歌~パオロ・スタンツァーニを偲んで

先日掲載した二つの記事------ランボルギーニ・イオタ、そしてカウンタックの記事の中で、重要人物として登場した天才エンジニア:パオロ・スタンツァーニ(Paolo Stanzani)氏が、先月18日に逝去されました。

ランボルギーニ・イオタSVR (10)

当該の二つの記事を執筆するにあたって、氏のインタビューは、たいへん重要な証言でした。また、イオタの記事の制作前後に氏が亡くなられたこともあって、私自身、奇妙な縁を感じざるを得ませんでした。


本日は、この天才技師にまつわるエピソードを振り返りながら、彼の名を轟かせる舞台となったランボルギーニ社、とそれに関わった人たちについて語っていきます。





パオロ・スタンツァーニ氏がランボルギーニの一員となったのは1963年のこと。ボローニャ大学の大学院を経て、助手として勤務していたところ、教授から紹介されたのだそうです。当時25歳。ランボルギーニ集った人たち------ジャン・パオロ・ダラーラ、ボブ・ウォレス、etc…----は、皆彼のような若者だったといいます。

そして彼らは新しい自分達の自動車の開発に、寝食を忘れて没頭していきます。スタンツァーニ氏自身、家に帰るのが面倒になって、仕事場にベッドを持ち込んでいたのだそうです。

そして1963年11月のトリノ・モーターショーにて、ランボルギーニは自動車メーカーとして華々しくデビューします。その車はランボルギーニ350GTV。しかし、この車両にはエンジンが積まれてなかったのだそうです。中に乗せて欲しいと群がる人たちを宥めるのに苦労したとのことですが、どうしても断りきれなかった人がいたらしく……。

その人はランボルギーニの最初の顧客となったそうです。


さらにランボルギーニの若きの技師達は次々と新しく意欲的な車を発表していきます。その極め付けが名車:ランボルギーニ・ミウラ。ボディが架装される前の状態(ランニングシャシー)での発表が1965年11月。プロトタイプの公表が1966年3月。そして1967年春には市販と、実に慌しいスケジュールでもありました。

そしてその前後にダラーラがデ・トマソへ転職すると、スタンツァーニ氏は設計チーフ兼開発総責任者として、ランボルギーニを率いていきます。そして数々の名車を世に送り出していきます。ハラマ、ウラッコ、そしてカウンタック。どれもが自動車史に残る“スーパーカー”でした。ランボルギーニは若者達の夢を体現する自動車メーカーになったのです。


ランボルギーニ・カウンタックLP500R (13)



そこへ悲劇が訪れます。トラクターの大量キャンセル、そして石油ショック。オーナーのフェルッチオ・ランボルギーニはトラクター部門、そして自動車部門もすべて売却。引退して自宅の農園で暮らす生活を送ることになります。スタンツァーニ氏自身も後を追うように1975年にランボルギーニを離れます。

その後の同社の迷走は皆さんもご存知のことでしょう。アウディ傘下に収まるまで、ランボルギーニは過去の遺産で喰い繋ぐかのような会社でした。しかしその遺産こそがスタンツァーニ氏が手掛けた車------ランボルギーニ・カウンタックだったのです。


ランボルギーニが、今日もなお自動車メーカーとしてあり続けているのは、スタンツァーニ氏の偉業があったからといっても過言ではないでしょう。しかしながら、スタンツァーニ氏をはじめとした若きエンジニア達に、自動車開発の機会を提供した社主:フェルッチオ・ランボルギーニの功績を忘れてはならないでしょう。スタンツァーニ氏は言います。“フェルッチオは1966年の段階で会社(自動車部門)を畳もうと考えていた”と。そして真夜中にスタンツァーニ氏を呼び出し、こう尋ねたと言います。“すべての責任を受け持って会社を動かす気はあるか?”

氏は“会社の業務を一切自分の管轄下においてくれるなら”という条件で、ランボルギーニを引き受けたのでした。そしてそれ以降、フェルッチオは、スタンツァーニ氏の頭越しに、配下の人間に指示を出すことはなかったといいます。一度信用すると決めたら、最後まで徹底して信用する、信念の人だったのです。

フェルッチオ・ランボルギーニのもとに若きエンジニアが集ったことは、1960年代という時代背景もあったことでしょう。この時代多くの若者の行動が世界を動かしてきたことは、皆さんもご存知のことでしょう。それがイタリアのボローニャ地方の小さな街:サンタ・アガータでも起こったのです。

しかし、時代を変革する、その担い手はいつの時代でも若者達ではないかと私は思うのです。そしてそんな若者達に機会を与え、背中を押してやることこそが、年寄り達の仕事ではないかと。閉塞感あふれる現代社会において、欠けている何かがあるとすれば、若者達の野心ではなく、フェルッチオ・ランボルギーニのような胆力ではないかと。



天に召されたスタンツァーニ氏は、おそらく先に他界したフェルッチオと再会したことでしょう。そして、ひょっとしたらこんな話をしているかもしれません。“また一緒に自動車を造ろう”と。


ランボルギーニ・カウンタックLP500R (33)


我々に夢を与えてくれたスタンツァーニ氏と、氏を支え続けたフェルッチオ・ランボルギーニ、二人の英雄に乾杯!




参考文献:Car Magazine No.280
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