タミヤ「ランチア・ストラトス・ターボ」
1960年代から70年代にかけて、イタリアから「スーパーカー」と呼ばれるエキゾチックな自動車が開発・生産され、世界中で販売されていました。
そんな「スーパーカー」の中でただ一つ、趣の違った車がありました。
その車の名前は「ランチア・ストラトス」。

本日は、この車とそのプラモデルにまつわるお話をしていきましょう。
“ストラトス”の名を持った自動車が大衆の前に姿を現したのは、1970年のトリノ・モーターショーでのこと。イタリアの名門カロッツェリア:ベルトーネのブースに展示された、“ストラトス・ゼロ”がその車でした。
当時ベルトーネに在籍し、衆目を浴びたランボルギーニ・ミウラやカウンタックを手掛けたことでも知られるマルチェロ・ガンディーニによるそのデザインは、いま見てもなお未来的で、挑戦的なものでもありました。
そしてこの車には一つ、大きな秘め事がもっていました。
ショーカーでありながら、自走可能なエンジン------ランチア・フルヴィアのパワートレインを持っていたのです。
即ちこの車は、ベルトーネがランチアという自動車会社にアプローチをすることを意識してつくられたものだったのです。
しかしながら、世間をアッと言わせた“ストラトス・ゼロ”をランチアの首脳陣は黙殺しました。それは当然です。この車はあくまでも“ショー・カー”でしかありませんでしたから。
ですが、そんな車を別の思いで見ていた人物達がいました。皮肉にもそれは、同じランチアのモータースポーツ部門のスタッフ達でした------。
ここで、“ランチア”という自動車メーカー、そして“ベルトーネ”というカロッツェリアについておさらいしておきましょう。
ランチア社は1906年創業の老舗自動車メーカー。当時すでにフィアットという巨大な自動車メーカーが存在していたこともあり、高級車を主に展開していたメーカーでもありました。
一方で第二次世界大戦後は、自動車レースにも積極的に関わるようになり、特にラリーでは数多くの好成績を残していました。
ですが、その度を越した技術偏重姿勢とモータースポーツへの傾倒は経営悪化を招き、ついには同じイタリアの巨頭:フィアットの傘下となってしまうのでした。
一方のベルトーネは1912年創業のカロッツェリア。このカロッツェリアとは本来、馬車の架装を行う業者のことを指し、陸上交通の主役が自動車に移ると、これらのカロッツェリアも自動車のボディの生産を手掛けるようになりました。
このベルトーネはボディのデザイン・製造のみならず、少量生産の自動車製造まで手掛ける、当時最も勢いのあったカロッツェリアだったのです。
ランチア社では当時、ピニンファリーナ(主に量産モデル)やザガート(主に少量生産モデル)といったカロッツェリアがデザインを担当していましたが、ここにベルトーネは割って入ろうと画策していました。
一方ランチアのモータースポーツ部門は、当時主力車であったランチア・フルヴィアではラリーで勝ち続けることは難しいと悟っていました。彼らは一刻も早く新しい、戦闘力を持った車が欲しかったのです。
しかしながら当時のランチア社の状況はそれを許しませんでした。ラリーに勝つためだけの車を開発し、少量とはいえそれを販売する余力はなかったのです。
そのとき両者の思惑は一致しました。
ランチアのモータースポーツ部門は既に、ラリーで勝つために必要な自動車の要件を揃えていました。一方でベルトーネが提案した“ストラトス・ゼロ”は彼らに有益なヒントを与え、なお且つ先の要件を大筋で満たしていました。
さらにベルトーネは当時年間3万台の生産能力を持つ製造メーカーとしての顔も持っていました。
ランチアのモータースポーツ部門を統括していたチェザーレ・フィオリオは、フィアットから送り込まれ、ランチアの社長となっていたピエロ・ゴバートを説き伏せ、ベルトーネとともに新しい車の開発に着手するのでした。
そして生まれた車が「ランチア・ストラトス」だったのです。
その“ストラトス”は徹頭徹尾、ラリーに勝つために生まれた車でした。常識外れといってもいいほど短いホイルベース。その短い全長に似つかわしいほどワイドな全幅。桁外れのシャシー剛性。必要最小限の室内空間。そしてフェラーリから供給を受けたディーノ246GT用V6エンジンを横置きに搭載。……。

それはまさしく“レーシング・カー”そのものでした。そして“ストラトス”は、ラリーフィールドで、それに恥じない幾多の栄光を手にしたのでした。
その一方でストラトスは様々な派生バージョンで、ラリー以外のレースに参戦していきました。グループ5というカテゴリーで争われるレースもそのうちの一つで、この競技用にモディファイされたのが、今回ご紹介する“ストラトス・ターボ”。
我々が記憶している“ストラトス”とは少々異なり、延長されたホイルベースに長いオーバーハング。そして巨大なチンスポイラーが目を惹きます。そして極めつけはインジェクション仕様かつターボユニットが装着されたエンジン。ラリーでは無敵だったストラトスはサーキットでも奮戦したのでした。
そんなストラトス・ターボを1/24サイズでモデル化したのがタミヤのこのキット。可動部分は多くありませんが、大型モーターを内蔵すれば、モデルレースに参戦できるようなキットでした。
残念ながら当時小学生だった私には、これをキッチリと仕上げる腕はなく(塗装もしていない;恥)。保存状態も悪いため、ただでさえ貼り方が悪いデカールがボロボロにはがれてしまっていますが…(恥)。
しかしながら、作りやすさ、形のよさはタミヤならではのもの。いま見てもうっとりするシルエットです。
詳しく見ると……アラが目立つので、サラッといきましょう(笑)。
前面


ミラーが片方しかないのは、壊したからで(恥)、実写はもちろん、キットも左右ミラーは付いてます。
前方より左斜め


左側面


後方より左斜め


背面


ものすごく平べったい車だということがわかりますね。
後方より右斜め


右側面


延長されたとはいえ、ホイルベースが基本的に短い車だということがわかります。また同時に、オーバーハングが異様に長い車であることにも気が付きます。
前方より右斜め


上から








同スケールのランボルギーニ・カウンタックと。

子供の頃は、多くの子供達と同様、カウンタックの方が好みで、ストラトス・ターボでようやく“タメを張れる”みたいに思ってたんですが、ストラトスの開発秘話に触れてからは、むしろノーマルのストラトスのほうが、より“格好よく”思えるようになりましたね。
そのストラトス、実はもう一台(?)手元にありました。
フジミの1/20「ランチア・ストラトスHF」なんですが、ご覧の有様(恥)。

元々従兄弟が作ったのを譲り受けたんですが、壊しちゃったんですね。
で、何を思ったのか、“壊れたんだから”といわんばかりに屋根を切り取り、下手なカラーリングをして玩具にしちゃったんですよ。いま考えれば“なんてもったいないことを!”なんですが…。

1/20サイズということもあり、ミクロフードマン※用の乗り物にぴったりで、(屋根切り取ったので特に;笑)、それ用に遊んでました(爆)。
※タカラ(現タカラトミー)より発売されていた“ミクロマン”のシリーズで、母星(ミクロアース)爆発前に宇宙にいたミクロ星人がサバイバルのために、身長を1/20に縮小したと言う設定。通常のミクロマン(約1/18サイズ)よりやや小さい。



屋根を切り取ったとはいえ、ストラトスが全長の短い、平べったい車であることがよくわかると思います。

室内は程よく再現されていますが、完全再現とまではいかなかった様で、特徴的な“えぐれた内張りのドア”までは再現されてません。


実を言うと、子供の頃、田舎ながらに“スーパーカー・ショー”なるものがあって、実際にこの目でカウンタックやストラトスを見ているのですが……。あのときはカウンタックばかりに目が行って、ストラトスにはほとんど興味を示さなかった、もったいない私がいました(笑)。
ですが前述の通り、ストラトスの開発秘話を知ってからは、そして“どんな道でも速く走りゆくのが真のスーパーカーである”という言葉に動かされてからは、“ストラトスこそが真のスーパーカー足りえるもの”として、この車を敬愛するようになりました。
ストラトスは当時のグループ4のレギュレーションを満たすために、500台のホモロゲーションモデルの生産が義務付けられていたんですが、実際にはその数字を満たせなかったと聞いています。さらに30年以上前の車ですから、希少価値のある車とはいえ、その残数も決して多くはありません。新規に取得・所有することはほぼ絶望的です。
しかしながら、この愛すべき車のレプリカを製造・販売しているバックヤード・ビルダーも少なからず存在するそうです。もちろん安価ではありませんが、レプリカでもいいから一度はオーナーになってみたいものですね。

以上、田宮模型(現タミヤ)1/24「ランチア・ストラトス・ターボ」でした!
参考文献
Car Magazine No.281
Rossoスーパーカー インデックス04 SUPER LANCIA
そんな「スーパーカー」の中でただ一つ、趣の違った車がありました。
その車の名前は「ランチア・ストラトス」。

本日は、この車とそのプラモデルにまつわるお話をしていきましょう。
“ストラトス”の名を持った自動車が大衆の前に姿を現したのは、1970年のトリノ・モーターショーでのこと。イタリアの名門カロッツェリア:ベルトーネのブースに展示された、“ストラトス・ゼロ”がその車でした。
当時ベルトーネに在籍し、衆目を浴びたランボルギーニ・ミウラやカウンタックを手掛けたことでも知られるマルチェロ・ガンディーニによるそのデザインは、いま見てもなお未来的で、挑戦的なものでもありました。
そしてこの車には一つ、大きな秘め事がもっていました。
ショーカーでありながら、自走可能なエンジン------ランチア・フルヴィアのパワートレインを持っていたのです。
即ちこの車は、ベルトーネがランチアという自動車会社にアプローチをすることを意識してつくられたものだったのです。
しかしながら、世間をアッと言わせた“ストラトス・ゼロ”をランチアの首脳陣は黙殺しました。それは当然です。この車はあくまでも“ショー・カー”でしかありませんでしたから。
ですが、そんな車を別の思いで見ていた人物達がいました。皮肉にもそれは、同じランチアのモータースポーツ部門のスタッフ達でした------。
ここで、“ランチア”という自動車メーカー、そして“ベルトーネ”というカロッツェリアについておさらいしておきましょう。
ランチア社は1906年創業の老舗自動車メーカー。当時すでにフィアットという巨大な自動車メーカーが存在していたこともあり、高級車を主に展開していたメーカーでもありました。
一方で第二次世界大戦後は、自動車レースにも積極的に関わるようになり、特にラリーでは数多くの好成績を残していました。
ですが、その度を越した技術偏重姿勢とモータースポーツへの傾倒は経営悪化を招き、ついには同じイタリアの巨頭:フィアットの傘下となってしまうのでした。
一方のベルトーネは1912年創業のカロッツェリア。このカロッツェリアとは本来、馬車の架装を行う業者のことを指し、陸上交通の主役が自動車に移ると、これらのカロッツェリアも自動車のボディの生産を手掛けるようになりました。
このベルトーネはボディのデザイン・製造のみならず、少量生産の自動車製造まで手掛ける、当時最も勢いのあったカロッツェリアだったのです。
ランチア社では当時、ピニンファリーナ(主に量産モデル)やザガート(主に少量生産モデル)といったカロッツェリアがデザインを担当していましたが、ここにベルトーネは割って入ろうと画策していました。
一方ランチアのモータースポーツ部門は、当時主力車であったランチア・フルヴィアではラリーで勝ち続けることは難しいと悟っていました。彼らは一刻も早く新しい、戦闘力を持った車が欲しかったのです。
しかしながら当時のランチア社の状況はそれを許しませんでした。ラリーに勝つためだけの車を開発し、少量とはいえそれを販売する余力はなかったのです。
そのとき両者の思惑は一致しました。
ランチアのモータースポーツ部門は既に、ラリーで勝つために必要な自動車の要件を揃えていました。一方でベルトーネが提案した“ストラトス・ゼロ”は彼らに有益なヒントを与え、なお且つ先の要件を大筋で満たしていました。
さらにベルトーネは当時年間3万台の生産能力を持つ製造メーカーとしての顔も持っていました。
ランチアのモータースポーツ部門を統括していたチェザーレ・フィオリオは、フィアットから送り込まれ、ランチアの社長となっていたピエロ・ゴバートを説き伏せ、ベルトーネとともに新しい車の開発に着手するのでした。
そして生まれた車が「ランチア・ストラトス」だったのです。
その“ストラトス”は徹頭徹尾、ラリーに勝つために生まれた車でした。常識外れといってもいいほど短いホイルベース。その短い全長に似つかわしいほどワイドな全幅。桁外れのシャシー剛性。必要最小限の室内空間。そしてフェラーリから供給を受けたディーノ246GT用V6エンジンを横置きに搭載。……。

それはまさしく“レーシング・カー”そのものでした。そして“ストラトス”は、ラリーフィールドで、それに恥じない幾多の栄光を手にしたのでした。
その一方でストラトスは様々な派生バージョンで、ラリー以外のレースに参戦していきました。グループ5というカテゴリーで争われるレースもそのうちの一つで、この競技用にモディファイされたのが、今回ご紹介する“ストラトス・ターボ”。
我々が記憶している“ストラトス”とは少々異なり、延長されたホイルベースに長いオーバーハング。そして巨大なチンスポイラーが目を惹きます。そして極めつけはインジェクション仕様かつターボユニットが装着されたエンジン。ラリーでは無敵だったストラトスはサーキットでも奮戦したのでした。
そんなストラトス・ターボを1/24サイズでモデル化したのがタミヤのこのキット。可動部分は多くありませんが、大型モーターを内蔵すれば、モデルレースに参戦できるようなキットでした。
残念ながら当時小学生だった私には、これをキッチリと仕上げる腕はなく(塗装もしていない;恥)。保存状態も悪いため、ただでさえ貼り方が悪いデカールがボロボロにはがれてしまっていますが…(恥)。
しかしながら、作りやすさ、形のよさはタミヤならではのもの。いま見てもうっとりするシルエットです。
詳しく見ると……アラが目立つので、サラッといきましょう(笑)。
前面


ミラーが片方しかないのは、壊したからで(恥)、実写はもちろん、キットも左右ミラーは付いてます。
前方より左斜め


左側面


後方より左斜め


背面


ものすごく平べったい車だということがわかりますね。
後方より右斜め


右側面


延長されたとはいえ、ホイルベースが基本的に短い車だということがわかります。また同時に、オーバーハングが異様に長い車であることにも気が付きます。
前方より右斜め


上から








同スケールのランボルギーニ・カウンタックと。

子供の頃は、多くの子供達と同様、カウンタックの方が好みで、ストラトス・ターボでようやく“タメを張れる”みたいに思ってたんですが、ストラトスの開発秘話に触れてからは、むしろノーマルのストラトスのほうが、より“格好よく”思えるようになりましたね。
そのストラトス、実はもう一台(?)手元にありました。
フジミの1/20「ランチア・ストラトスHF」なんですが、ご覧の有様(恥)。

元々従兄弟が作ったのを譲り受けたんですが、壊しちゃったんですね。
で、何を思ったのか、“壊れたんだから”といわんばかりに屋根を切り取り、下手なカラーリングをして玩具にしちゃったんですよ。いま考えれば“なんてもったいないことを!”なんですが…。

1/20サイズということもあり、ミクロフードマン※用の乗り物にぴったりで、(屋根切り取ったので特に;笑)、それ用に遊んでました(爆)。
※タカラ(現タカラトミー)より発売されていた“ミクロマン”のシリーズで、母星(ミクロアース)爆発前に宇宙にいたミクロ星人がサバイバルのために、身長を1/20に縮小したと言う設定。通常のミクロマン(約1/18サイズ)よりやや小さい。



屋根を切り取ったとはいえ、ストラトスが全長の短い、平べったい車であることがよくわかると思います。

室内は程よく再現されていますが、完全再現とまではいかなかった様で、特徴的な“えぐれた内張りのドア”までは再現されてません。


実を言うと、子供の頃、田舎ながらに“スーパーカー・ショー”なるものがあって、実際にこの目でカウンタックやストラトスを見ているのですが……。あのときはカウンタックばかりに目が行って、ストラトスにはほとんど興味を示さなかった、もったいない私がいました(笑)。
ですが前述の通り、ストラトスの開発秘話を知ってからは、そして“どんな道でも速く走りゆくのが真のスーパーカーである”という言葉に動かされてからは、“ストラトスこそが真のスーパーカー足りえるもの”として、この車を敬愛するようになりました。
ストラトスは当時のグループ4のレギュレーションを満たすために、500台のホモロゲーションモデルの生産が義務付けられていたんですが、実際にはその数字を満たせなかったと聞いています。さらに30年以上前の車ですから、希少価値のある車とはいえ、その残数も決して多くはありません。新規に取得・所有することはほぼ絶望的です。
しかしながら、この愛すべき車のレプリカを製造・販売しているバックヤード・ビルダーも少なからず存在するそうです。もちろん安価ではありませんが、レプリカでもいいから一度はオーナーになってみたいものですね。

以上、田宮模型(現タミヤ)1/24「ランチア・ストラトス・ターボ」でした!
参考文献
Car Magazine No.281
Rossoスーパーカー インデックス04 SUPER LANCIA
- 関連記事
-
- figma「セイバー 甲冑ver.」
- ダイアクロン「パワードスーツ」
- タミヤ「ランチア・ストラトス・ターボ」
- 魅惑の1/6フィギュア(4)
- 東京マルイ「ランボルギーニ・カウンタックLP500R」
スポンサーサイト