Lonely Hotel
おバカなネタが続きましたが、ドン引きネタばかり書いてると、本当にアホだと------いや、それで大概間違いないのですが(爆)、読む人がいなくなってしまいますので、たまには真面目な話を書かないとね(笑)。
ということで、今回は音楽ネタを。
私、あねさと が本格的に洋楽に目覚めたきっかけは、セントラルパークで開かれたサイモン&ガーファンクル(以下S&G)の再結成コンサート(の録画)だったんですが、それを見るきっかけも、昔持っていたラジカセ(って、コレもう死語だな;苦笑)についててきた試供品カセットテープに収録されていた「ミセス・ロビンソン」で、“それを唄っていたというS&Gってどういうアーティストなのか見てみよう”、だったのですな。で、見てみたら、それまで曲は聞いたことがあったけれどタイトルは知らなかった「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロー・フェア」、「ボクサー」etc……も唄っていた偉大なアーティストだったと知って、一気にファンになり、アナログレコード買って聴き込むようになり、それから芋づる式にいろいろなアーティストを知っては、FMラジオ等で聴いていくようになった……。という展開でした。
ですが、そのS&Gを知る以前からも、継続的ではないながらも、生意気に聴いていた時期がありました。それこそポリスなんかはS&Gを知る前から知っていたバンドだったし、-----知るきっかけが、雑誌に掲載されていた児童向け小説の中の登場人物の台詞(主人公の母が主役の姉に怒る台詞)「アリスだかポリスだか知りませんが……」だった(笑)。“「ポリス」なんて名前のバンドなんてねぇーよ!”と思ったら、翌年来日コンサートが催された思い出がありまして、札幌にも来たんだよな。でも私の住まいは札幌から遠く200km以上も離れた僻地なのでいけなかった。ま、小学生だったしな(苦笑)。でも当時ポリスは「DoDoDo De DaDaDa」を引っさげて来日し、おまけにその日本語版(日本語詞:湯川れい子)をリリースして結構話題になったんですよ。
ま、そんな感じでポリスなんかは割りと早くから知っていたし、気が向けば、NHK-FMの「朝のポップス」とか「世界音楽の旅」などを聴いていたりしていたんですな。
(ついでに言えば、年上のいとこがいたので、ABBAとかビージーズあたりも耳にしてたんだっけ)。
というわけで、洋楽への原体験は割合早かったのですが、当時小学生の私にはまだアーティストを吟味するような耳は持ち合わせてなく、流れる曲を片っ端から録音しては聞くという状態。気がつけば誰が唄っているのか、何というタイトルの曲なのかわからないまま、メロディだけ覚えているような曲がどっさり(苦笑)。
当時はまだFM雑誌なんて知らなかったから、新聞のラテ欄だけを頼りに、あとはナビゲータの音声だけを頼りに、限られた曲の情報を拾い集めていたわけなんです。
あ、その「FM情報誌」もいまはもうないんだっけ(苦笑)。
今回ご紹介する「Lonely Hotel」もそんな一曲。「世界の音楽」アメリカ編でかけられ、粗雑なカセットテープにエアチェックされたこの曲を、日曜日の午後によく聞いていたのだったな。誰が唄っているのかも知らず、レコードを探し当てることも無く。
しかし、その後本格的に洋楽を聴くようになってから、この曲の歌い手を捜してみたことはあったものの、ついぞ消息はつかめず。そりゃそうだ、カントリーミュージックだもの、中坊のときに好んで聴いていたロック/ポップとは趣が違うよなぁ……。カントリーに詳しい奴、誰もいなかったし。(カントリーミュージックを知っていたのは、周りでは私だけだった)。
そして、いつしか大人になり、ネットにどっぷり使った生活を送るようになってからも、時折この曲の情報を調べていたのですが、なかなか……。
ところがですね、つい先日、ようやく素性が判明しまして……長かった!
1970年代後半から活動していた、ドン・キングというカーリーヘアーのすらっとしたイケメン歌手がその人。私、トム・ハンクス似の小太りのおじさんが唄っているのかとずっと思ってた(爆)。1980年代末まで活動の記録があるそうですが、その後は不明。まあ歌手というのはレコードだけでなく、ステージ活動というのもあるから、(そういう活動はWikipedia等では記述されることがほとんどない)、数曲ヒット曲があれば、俗に言う“営業”だけで10年くらいは喰っていけるものなんです。またプロデューサーに転向したり、マネージメント会社を興して後進の発掘と育成に努める人もいますから、ひょっとするとまだエンタメ業界で活躍しているかもしれません。
そして、ネット時代の恩恵というべきか、その動画がアップロードされてましてね。これって、著作権とか大丈夫なのか? と心配になりますが、日本はもちろん本国アメリカでもCDは入手できないみたいで、(CD時代前の話だからな)、アップされている動画もアナログレコードからのデジタル化でした。
とはいえ、あらためて耳を傾けると、あの当時の思い出がメロディとともに甦り、ちょっぴりほろ苦い気分になりましたね。えっ、“どうしてか?”って? そりゃ、子供のころの思い出なんて、いい思い出ばかりじゃないじゃない。むしろ思い出したくないことも多いわけで(苦笑)。
そんな思い出いっぱいのこの曲の歌詞は、サビが“No More Lonely Hotel~”と、ひとりで過ごす夜、君のいない日々はたくさんだという切ない内容をメジャーコードに載せ、ほろ苦さたっぷり。まさにピッタリじゃありませんか(笑)。
そんな、忘れえぬ一曲「Lonely Hotel」、下に貼り付けてみました。いつまで聴くことができるかわかりませんが、ご一聴いただけたら幸いです。
ということで、今回は音楽ネタを。
私、あねさと が本格的に洋楽に目覚めたきっかけは、セントラルパークで開かれたサイモン&ガーファンクル(以下S&G)の再結成コンサート(の録画)だったんですが、それを見るきっかけも、昔持っていたラジカセ(って、コレもう死語だな;苦笑)についててきた試供品カセットテープに収録されていた「ミセス・ロビンソン」で、“それを唄っていたというS&Gってどういうアーティストなのか見てみよう”、だったのですな。で、見てみたら、それまで曲は聞いたことがあったけれどタイトルは知らなかった「サウンド・オブ・サイレンス」や「スカボロー・フェア」、「ボクサー」etc……も唄っていた偉大なアーティストだったと知って、一気にファンになり、アナログレコード買って聴き込むようになり、それから芋づる式にいろいろなアーティストを知っては、FMラジオ等で聴いていくようになった……。という展開でした。
ですが、そのS&Gを知る以前からも、継続的ではないながらも、生意気に聴いていた時期がありました。それこそポリスなんかはS&Gを知る前から知っていたバンドだったし、-----知るきっかけが、雑誌に掲載されていた児童向け小説の中の登場人物の台詞(主人公の母が主役の姉に怒る台詞)「アリスだかポリスだか知りませんが……」だった(笑)。“「ポリス」なんて名前のバンドなんてねぇーよ!”と思ったら、翌年来日コンサートが催された思い出がありまして、札幌にも来たんだよな。でも私の住まいは札幌から遠く200km以上も離れた僻地なのでいけなかった。ま、小学生だったしな(苦笑)。でも当時ポリスは「DoDoDo De DaDaDa」を引っさげて来日し、おまけにその日本語版(日本語詞:湯川れい子)をリリースして結構話題になったんですよ。
ま、そんな感じでポリスなんかは割りと早くから知っていたし、気が向けば、NHK-FMの「朝のポップス」とか「世界音楽の旅」などを聴いていたりしていたんですな。
(ついでに言えば、年上のいとこがいたので、ABBAとかビージーズあたりも耳にしてたんだっけ)。
というわけで、洋楽への原体験は割合早かったのですが、当時小学生の私にはまだアーティストを吟味するような耳は持ち合わせてなく、流れる曲を片っ端から録音しては聞くという状態。気がつけば誰が唄っているのか、何というタイトルの曲なのかわからないまま、メロディだけ覚えているような曲がどっさり(苦笑)。
当時はまだFM雑誌なんて知らなかったから、新聞のラテ欄だけを頼りに、あとはナビゲータの音声だけを頼りに、限られた曲の情報を拾い集めていたわけなんです。
あ、その「FM情報誌」もいまはもうないんだっけ(苦笑)。
今回ご紹介する「Lonely Hotel」もそんな一曲。「世界の音楽」アメリカ編でかけられ、粗雑なカセットテープにエアチェックされたこの曲を、日曜日の午後によく聞いていたのだったな。誰が唄っているのかも知らず、レコードを探し当てることも無く。
しかし、その後本格的に洋楽を聴くようになってから、この曲の歌い手を捜してみたことはあったものの、ついぞ消息はつかめず。そりゃそうだ、カントリーミュージックだもの、中坊のときに好んで聴いていたロック/ポップとは趣が違うよなぁ……。カントリーに詳しい奴、誰もいなかったし。(カントリーミュージックを知っていたのは、周りでは私だけだった)。
そして、いつしか大人になり、ネットにどっぷり使った生活を送るようになってからも、時折この曲の情報を調べていたのですが、なかなか……。
ところがですね、つい先日、ようやく素性が判明しまして……長かった!
1970年代後半から活動していた、ドン・キングというカーリーヘアーのすらっとしたイケメン歌手がその人。私、トム・ハンクス似の小太りのおじさんが唄っているのかとずっと思ってた(爆)。1980年代末まで活動の記録があるそうですが、その後は不明。まあ歌手というのはレコードだけでなく、ステージ活動というのもあるから、(そういう活動はWikipedia等では記述されることがほとんどない)、数曲ヒット曲があれば、俗に言う“営業”だけで10年くらいは喰っていけるものなんです。またプロデューサーに転向したり、マネージメント会社を興して後進の発掘と育成に努める人もいますから、ひょっとするとまだエンタメ業界で活躍しているかもしれません。
そして、ネット時代の恩恵というべきか、その動画がアップロードされてましてね。これって、著作権とか大丈夫なのか? と心配になりますが、日本はもちろん本国アメリカでもCDは入手できないみたいで、(CD時代前の話だからな)、アップされている動画もアナログレコードからのデジタル化でした。
とはいえ、あらためて耳を傾けると、あの当時の思い出がメロディとともに甦り、ちょっぴりほろ苦い気分になりましたね。えっ、“どうしてか?”って? そりゃ、子供のころの思い出なんて、いい思い出ばかりじゃないじゃない。むしろ思い出したくないことも多いわけで(苦笑)。
そんな思い出いっぱいのこの曲の歌詞は、サビが“No More Lonely Hotel~”と、ひとりで過ごす夜、君のいない日々はたくさんだという切ない内容をメジャーコードに載せ、ほろ苦さたっぷり。まさにピッタリじゃありませんか(笑)。
そんな、忘れえぬ一曲「Lonely Hotel」、下に貼り付けてみました。いつまで聴くことができるかわかりませんが、ご一聴いただけたら幸いです。
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