追悼:野村昭子さん
つい先日、女優の野村昭子さんが亡くなられたとの報が届いた。
亡くなられた著名人への追悼コメントは、皆思い出深い方々ばかりということもあり、キリがないので出さない方針でいるのだが、野村さんとは多少の関わりがあったこともあり、またその関わりに深い縁があった故 南田洋子さんへの追悼文を、以前mixiに書いたことがあるので、故人への哀悼の意を込めて、ほんの少しばかり思い出話をしてみたいと思う。
私が仕事で野村さんとご一緒させていただいたのは、若かりし頃〜つい最近のことですね、とギャグを飛ばしたくなるくらい昔のことなのだが、そのときはまだまだ見習いのペーペーで、華やかな世界の片隅にひっそりと居候させてもらっているような、そんな存在だった。社長を兼ねたタレントのお付として、ドラマの撮影に随伴していたのだが、そのときに南田さんに気に入られたという下りは、今となっては笑い話だ。
そしてその傍らにいて、いつも楽しく和やかな雰囲気をつくって頂いていたのが“野村のお母さん”こと野村昭子さんだった。
あの体躯にして機敏に動くその様は、南田さん曰く、“この人をCMに出して頂戴。きっといいCMになるわ(笑)”。
そのくらい楽しく素敵で気さくな、そして慕われる方だった。
撮影中危険なシーンもあって、“そんなにギャラもらってないわよ!”とお怒りになることもあったが、それも最後には笑い話になってしまうほど可愛らしい方だった。
もっともその現場は出演者皆和やかなばかりで、山口良一さんは愛車のBMWのオートバイでスタジオにやってきていたし、もうひとりの主演だった那須佐代子さんも素敵な方で、ロケ現場からスタジオに戻る車中で、他の出演者がA型なのに私と那須さんだけB型で、“Bは変わっている”みたいな話で笑いが絶えなかったり。
そして天本賢さん−−−−−−昔、“半ダース”というコミックアイドルグループのメンバー“アパッチけん”としてご活躍されていたのだが、グループ解散後、本格的に俳優として活動をされるようになりーーーーーーーそのキャリア初期には北海道のローカルドラマにも出演されたことがある−−−−−−−、それからしばらくして芸名を本名の“天本賢”と改名されているのだが、その方に“僕は食べないから”と、うどんを勧められて、私が躊躇していると“遠慮しなくていいんだよ”と諭された思い出がある。
そしてドラマのクランクアップの際、南田さんのマネージャーの方から、出演者およびスタッフ全員による記念撮影に、ただのお付でしかない私にも写るように促されたこともあった。
なんだか申し訳ない、そんな気がしながらも楽しく過ごした一月近く(多分そのくらいだったと思う)の日々だった。
そんな華やかな世界から身を引いて長い年月が経っているけれど、あのときの出演者の方々−−−−−−特に南田さんと野村さんの思い出は色褪せることなく焼き付いている。
謹んで、哀悼の意を評したいと思います。
亡くなられた著名人への追悼コメントは、皆思い出深い方々ばかりということもあり、キリがないので出さない方針でいるのだが、野村さんとは多少の関わりがあったこともあり、またその関わりに深い縁があった故 南田洋子さんへの追悼文を、以前mixiに書いたことがあるので、故人への哀悼の意を込めて、ほんの少しばかり思い出話をしてみたいと思う。
私が仕事で野村さんとご一緒させていただいたのは、若かりし頃〜つい最近のことですね、とギャグを飛ばしたくなるくらい昔のことなのだが、そのときはまだまだ見習いのペーペーで、華やかな世界の片隅にひっそりと居候させてもらっているような、そんな存在だった。社長を兼ねたタレントのお付として、ドラマの撮影に随伴していたのだが、そのときに南田さんに気に入られたという下りは、今となっては笑い話だ。
そしてその傍らにいて、いつも楽しく和やかな雰囲気をつくって頂いていたのが“野村のお母さん”こと野村昭子さんだった。
あの体躯にして機敏に動くその様は、南田さん曰く、“この人をCMに出して頂戴。きっといいCMになるわ(笑)”。
そのくらい楽しく素敵で気さくな、そして慕われる方だった。
撮影中危険なシーンもあって、“そんなにギャラもらってないわよ!”とお怒りになることもあったが、それも最後には笑い話になってしまうほど可愛らしい方だった。
もっともその現場は出演者皆和やかなばかりで、山口良一さんは愛車のBMWのオートバイでスタジオにやってきていたし、もうひとりの主演だった那須佐代子さんも素敵な方で、ロケ現場からスタジオに戻る車中で、他の出演者がA型なのに私と那須さんだけB型で、“Bは変わっている”みたいな話で笑いが絶えなかったり。
そして天本賢さん−−−−−−昔、“半ダース”というコミックアイドルグループのメンバー“アパッチけん”としてご活躍されていたのだが、グループ解散後、本格的に俳優として活動をされるようになりーーーーーーーそのキャリア初期には北海道のローカルドラマにも出演されたことがある−−−−−−−、それからしばらくして芸名を本名の“天本賢”と改名されているのだが、その方に“僕は食べないから”と、うどんを勧められて、私が躊躇していると“遠慮しなくていいんだよ”と諭された思い出がある。
そしてドラマのクランクアップの際、南田さんのマネージャーの方から、出演者およびスタッフ全員による記念撮影に、ただのお付でしかない私にも写るように促されたこともあった。
なんだか申し訳ない、そんな気がしながらも楽しく過ごした一月近く(多分そのくらいだったと思う)の日々だった。
そんな華やかな世界から身を引いて長い年月が経っているけれど、あのときの出演者の方々−−−−−−特に南田さんと野村さんの思い出は色褪せることなく焼き付いている。
謹んで、哀悼の意を評したいと思います。
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